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ピラティスは単なるエクササイズではない、あなたの人生を変える力がある!ピラティスの歴史をお伝えします。

ピラティスとは、単なる運動ではなく人生の哲学である。

ピラティスとは、Joseph Hubertus Pilates
(ジョセフ・ヒューベルトゥス・ピラティス)によって考え出された動きのメソッドです。

今日は、考案者の名前をとってピラティスと呼ばれていますが
当時彼は、
自分の考案した動きのメソッドのことを

「コントロロジー」Contrology)と呼んでいました。

ピラティスインストラクター Sachi
『カラダの筋肉のすべてを意識的にコントロールすること。骨格を構成する骨によって動くテコの原理を正しく活用すること。体のメカニズムについて完全に理解すること。
そして休息や睡眠中のカラダの動きに、均衡の法則と重力の法則がどのように働いているかをよく理解すること。その成果をまとめたものをコントロロジーと名付けた』
(by J.H. pilates)

彼は、自身の考案したメソッドは、

単なる運動ではなく人生の哲学である』

コントロロジーというメソッドを実践することで、

『体をバランスよく発達させ悪い姿勢を正し、体の元気を回復させ心を活性化させ、精神力を高める』

と言っていました。

小さい頃、病弱なことで負い目があったことを克服

1883年(12月9日)

ジョセフ・ピラティスは、ドイツ、デュッセルドルフ近くの小さな町、メンヒュングラートバッハ(Mönchengladbach)で生まれました。

幼少時代はくる病、喘息、リウマチ熱に苦しみました。

小さくて痩せていた彼は、他の丈夫で大きな子供たちから負い目を感じていました。

病気を克服する為にいくつもの身体訓練法やボディビルディング、レスリング、体操、スキー、ダイビングに挑戦し、14歳になる頃には解剖図のモデルになるほどの健康体となりました。

彼の父は優れた体操選手・指導者でもあり、母は自然療法士でした。

このことは、彼が生涯を通じて追及していった運動と健康の分野の研究に多大な影響を与えたようです。

 

1912年(32歳)

イギリスへ旅に出ますが、ボクシングを追求する為という説、もう一つはサーカスの一員としてという説があります。

 

動きのメソッドコントロロジーを考案する

ピラティス界を引っ張る、ラエルイサコビッツによるピラティスの歴史です。興味深い映像の数々です。

1914年(34歳)

第一次世界大戦勃発
イギリスで捕虜となり収容所に抑留され、マン島に移されました。

そこで仲間の捕虜の体力と全般的な健康の回復を手助けすることを始めます

ベッドにスプリングを取り付けたり、寝たきりの患者たちにも動けるように器具を作り付けました

彼が最初に発明した器具であり、これがのちに「コントロロジー」と名付けられる現在のピラティスメソッドの始まりです。

 

こちらが現在使われている、Cadillac(キャデラック)というピラティスのマシンの一つ。
ベッドにスプリングをつけたものの、進化系。

コントロロジー実践者は生き延びることができた

1918年(38歳)

世界的な規模でインフルエンザが流行。

何百万人者人々の命が奪われる中、彼の考案したコントロロジーを実践していた収容所の人たちは一人も倒れませんでした

その後ドイツに帰り、軍警察個人の顧客運動の専門家ダンサーを教えます。

 

ピラティスはもともと男性に向けてのメソッドでした。

アメリカ ニューヨークへ

1925年(45歳)

功績が認められ、ドイツ政府から新しい軍隊の訓練を頼まれますがが、当時のドイツの政治的傾向を好まず、アメリカに移民することを選びます。

アメリカへの途上、船の上で未来の妻クラーラと出会います。

 

1926年(46歳)

ピラティスクラーラニューヨークの8番街399番地にスタジオを開設

同じビルの中にはダンス学校リハーサルスタジオがありました。

彼のメソッドの噂は口伝えに広まり、その顧客は上流階級の人たち映画スター医者ダンサー音楽家サーカスの芸人体操選手職人学生など多岐に渡りました。

1930年〜1940年代アメリカは、バレエとダンスの創成期となり、有名、無名のダンサーや振付師が彼の下で学びました。

ダンサーたちは、パフォーマンスの向上とケガの防止、またリハビリとしてスタジオに通いました。

2冊の書籍を残す

1934年と1945年

「ユア・ヘルス」「リターン・トゥ・ライフ・スルー・コントロロジー」を出版。

医師たちに向けて実演講習をしたり、軍隊の指導パンフレットを作ったり、器具を百貨店で販売した。

親友だった整形外科局長ヘンリー・ジョーダン医師は彼のメソッドの熱心な支持者でした。

日本語の書籍もあります。

1950年代

支持してくれる医師や、弟子も多くできたが、彼のメソッドは医療や教育制度の主流とはならなかった。

医学会の無理解に彼は深く悲しみます

 

1965年(85歳)

2番目のスタジオを開く

ジョセフ・ピラティス86歳でその生涯を閉じる

1966年1月

最初に開いた8番街のスタジオのあるビルで火災が発生。

できるだけのものを持ち出そうとしたピラティスは、焼けた床版を踏み抜き落下。

消防士に救出される。

1967年10月

80代のほとんどを研究と指導に費やしたジョセフ・ピラティスは86歳でこの世を去ります。

ジョセフ・ピラティスの死後

妻のクラーラは1970年まで教え続け、1976年に亡くなっています

ジョセフ・ピラティスの死後、彼から直接指導を受けた第一世代のマスターティーチャーである「エルダー」と呼ばれる弟子達によりエクササイズが提供され始め、広められていきました。

 

1990年〜2000年

ジョセフ・ピラティスが願っていた医療界でもピラティスが認められ始め、

1990年〜2000年は、彼のコントロロジーメソッド”ピラティス”としてとして様々なメディアで取り上げられ、次第にアメリカ各地そして海外へと広まり始めます

たくさんのピラティススタジオができ、多くのフィットネスクラブでも採用され、ピラティスのインストラクターを養成するコースが各地で開催されるようになりました。

まとめとして

今日は、ピラティス・メソッドが生まれてから約100年ピラティス氏の没後約50年日本にピラティスが入ってきてほぼ20年という時期にあたります。

ピラティス氏は著作の中で

「私のメソッドは、50年早かった」と言葉を残しています。

現在は、日本においてもフィットネスやパーソナルトレーニングへの利用の他に、リハビリテーションとして医療と連携し始めています。

ピラティスとは、「人として生きる道を教えてくれる」学問だと私は思っています。

彼が一生をかけて、取り組み、研究を重ねた想いを大切に、これからも立ち止まらずに精進していきたいと思います。

 

ジョセフ・ピラティス氏が実際に教えている映像です。
パンツ一丁が愛らしいです^^

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https://my-pilates.net/?page_id=3134

 

  • この記事を書いた人

SACHI

ピラティス講師/栄養コンシェルジュ®︎/アドラー心理学 1976年8月生まれ 獅子座 東京生まれ、横浜育ち。 人生をより良くしていきたいと願う大人女子へ。自分が本当に望む人生、やりたいことをやり抜く力を手に入れる食や体、心のこと、食べて綺麗に痩せる食事法を発信。ビジネスや生活で、ちょっと便利で良いもの情報も発信中。

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